リミッターのある生活って 2号館

本能と理性の間で揺れ動きます

大須エリアを巡っていく。

昨日のブログで、名古屋21大師を巡拝するために大須にやってきたと書きました。1番札所である大須観音にて納経帳を頂き、そのまま2番札所である「七寺」に向かえばいいのですが、それではすぐに大須を離れてしまう流れになりそうなので、少し大須観音近くの神社、寺院を参拝してくことにしました。

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まるで囲んでない寺院もあるのですが、とりあえず今回は大須観音を加えた7カ所を参拝してきました。

名古屋21大師霊場の札所が2か所、大名古屋八十八大師霊場の札所が三か所、そして神社が3社となります。

内、「七寺」は名古屋21大師、大名古屋八十八大師の札所を兼ねています。

商店街にのみ目が行ってしまいますが、大須は神社仏閣の街と言ってもいいのではと思ってしまうくらい寺院、仏閣がひしめき合っている感じです。

今回参拝した7寺社の中でも特に注目してほしいのが、「北野神社」になります。

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ぱっとみると、狭い境内に社殿を始めとする神社建造物がひしめき合っている都心型神社と言ってもよいだろう神社です。

この小さな神社の何が注目なのか・・・・

 

それは

 

この北野神社が大須観音のルーツともいえる神社になるからです。

 

元々、北野神社は「昔は北野社または北野天満宮と称して尾張国中島郡長岡の庄大須今の美濃国羽島郡小薮村大字大須に在って、後醍醐天皇の勅願により元享四年(1324)山城国北野神社より菅公直筆の画像を奉還し鎮座すという」と愛知県神社名鑑には書かれています。

元々は現在の場所ではなく、岐阜県羽島市大須という場所に鎮座していた神社になります。この北野神社の別当寺(神宮寺)として創建されたのが現在の大須観音(正式名は北野山真福寺宝生院」)になります。

1612年には徳川家康の勅命によって、現在地に移ってきています。当時は北野神社と大須観音は同じ境内にあったことが「尾張名所図会」に描かれています。

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大須観音の本堂、五重塔の共に、「天神」と書かれた現在の北野神社が同じ境内に描かれています。「天神」の隣には大師堂が書かれています。

明治期の神仏分離令大東亜戦争による名古屋空襲により大須周辺も大きく様変わりしてしまった様ですね。地図を見る限り、かなり境内が小さくなったように見えます。さらに大須観音周辺にも他の寺院が多数あったようなのですが、縮小した又は空襲により廃寺になってしまったようです。戦後の名古屋の中心街は、区画整理100m道路として有名な久屋大通などの大通りの整備が行われて、それに伴う土地の減歩などがあったようですね。

 

大須観音の存在を知っていても、そのルーツが北野神社の別当寺(神宮寺)だったことを知っている人は少ないのではないでしょうか。